なぜ科学的リテラシーを高めるのか
科学的リテラシーとは
OECDのPISA(生徒の学習到達度調査)では,科学的リテラシーは「科学とテクノロジーが関係する諸々の状況において,市民は何を知っていて,何に価値を認め,何をできることが重要か?」の問いへの答えとして定義されています。科学的リテラシーは,人が個人的,社会的,国際的な規模の様々な問題に遭遇した際に,問題に対して「科学的な態度」で臨み,適切な「科学的知識」を適用し,「科学的能力」を働かせて解決しようとすることに必要であり,すべての人が保持することを求めるものです。つまり将来科学者や技術者となる一部の人々だけに必要というものではなく,すべての人がこれからの社会で充実して生きていくために必要とされるものです。
したがって,進学のための試験対策に必要な理科学力と一部重なりはあっても同一でないことが重要です。
定義
定義 科学的リテラシーとは,思慮深い市民として,科学的な考えを持ち,科学に関連する諸問題に関与する能力である。科学的リテラシーを身につけた人は,科学やテクノロジーに関する筋の通った議論に自ら進んで携わり,それには以下の能力(コンピテンシー)を必要とする。
・現象を科学的に説明する:自然やテクノロジーの領域にわたり,現象についての説明を認識し,提案し,評価する。
・科学的探究を評価して計画する:科学的な調査を説明し,評価し,科学的に問いに取り組む方法を提案する。
・データと証拠を科学的に解釈する:様々な表現の中で,データ,主張,論(アーギュメント)を分析し,評価し,評価し,適切な科学的結論を導き出す。
(注:アーギュメントとは,事実と理由付けを提示しながら,自らの主張を相手に伝える過程を指す)
[以上,PISA2015年調査国際結果報告書(国立教育政策研究所, 2016)より]
なぜ科学的リテラシーが問題なのか?
小倉(2012)が平成23年度に行った全国的な実態調査において,中学3年生に対して「あなたが将来生きていくうえで重要な学習」の程度を各教科領域別に問いました。理科については理科第2分野(地層,地震,天気,天体等)以外の物理,化学,生物関連の学習が,「とても重要だ」または「重要だ」と回答した生徒の割合が,美術,音楽に次いで低く約4割に止まっていました。理科に関して生きていくうえで重要な学習だと認識している中学3年生は,他のほとんどの教科領域よりも少ない状況です。現在の義務教育で教えられている理科は,一人ひとりが必要だと認識できるものとはなっていないのです。しかも,高校1年では中学3年生よりも肯定的な割合がさらに低下し,そして高校3年では高校1年よりもさらに低下するというのが日本の理科教育の実態です。
これは理科学習に対する価値意識が低いという問題であり,これだけをもって科学的リテラシーが低いとは言えませんが,科学に価値を感じていなければ,科学的知識や科学的能力を適用する機会もなくなるので科学的リテラシーを有していないのと同じことになります。また,進学以外の理由で理科を学ばなければ,成人後に世の中の変化に応じて新たに必要となる科学的情報を自ら更新し続けることもなく,すぐに自分で考え判断し行動することを諦め,他人任せでしか自分の行動を決められない状態に陥ってしまうでしょう。こうした状態を科学的リテラシーが低いと表現することができます。理科教育の使命は,科学的リテラシーが高い国民を育成することであると言えます。これまでの理科教育の実態は,これに応えられていません。
各教科・領域の学習の重要度に対する中学3年生の意識(小倉(2012)より)
科学的リテラシーの態度と能力は相関している
PISA調査では「科学的な態度」を①「探究に対する科学的アプローチへの価値付け」,②「科学の楽しさ」,③「広範な科学的トピックへの興味・関心」,④「理科学習に対する道具的な動機付け」,⑤「理科学習者としての自己効力感」,⑥「科学に関連する活動」,⑦「30 歳時に科学関連の職業へ就く期待」の七つの観点で捉えています。これらはすべて科学的能力の得点と正の相関関係にあります(国立教育政策研究所, 2016)。日本の生徒は科学的能力を高水準に伸長させている一方で,それを適用しようとする科学的態度に関しては七つの指標のいずれにおいても国際的に低い水準を示しています。日本の理科教育の課題は,科学的な態度の改善であると言えます。
中核的理科教員が課題解決への鍵
学校では多くの教員が学年,学級に分かれて理科を指導しています。小学校,中学校には理科指導に苦手意識をもつ教員が少なくない(科学技術振興機構,2011)実態があります。各教員の理科授業に関する資質・能力や各学級の児童生徒の学習集団としての特性は異なるため,児童生徒の理科への態度や学力に学級間格差が生じます。たとえ理科指導に優れた教員が担当した子どもが理科学力を高めたり理科好きになったりしても,次の学年で他の教員の理科指導によって理科が嫌いになったり理科学力が低下したりすることもあります。したがって,学校全体での理科学力や理科への態度を向上させるためには,理科を教えるすべての教員のすべての理科授業を改善することが必要です。
そこで,「中核的理科教員」を「理科指導で高い資質能力を有しており,理科授業研究会の授業者や観察実験講習会等の指導者を務めるなど,校内や地域の理科教育の推進役を担うことができる教員」とし,周りの教員の理科授業改善と全校児童生徒の科学的リテラシーの向上につながる取り組みに尽力することが,課題解決への鍵になると考えます。
理数系教員養成拠点構築事業(CST事業)の反省
平成21年度から平成27年度に全国16都府県(東京,福井,岐阜,滋賀,鹿児島,神奈川,長崎,新潟,長野,愛知,岡山,高知,大阪,香川,三重,埼玉)で,JST(科学技術振興機構)の支援により実施された「理数系教員養成拠点構築事業(CST事業)」によって,小中学校に多数のコア・サイエンス・ティーチャー(CST教員)が養成されました。その存在は,地域の理科教育の推進役として活躍するとともに,教員研修会等の指導者としてその力量を広めることで,地域の理科教育の向上に寄与するものと期待されました(科学技術振興機構理数学習支援センター, 2012)。しかしながら,校内にCST教員がいることを他の教員が知らないとか,CSTが何なのかが認識されていない状況で,時々教育委員会主催の授業研究会の授業者や教員研修会での講師を務めるといったイベントで活用される状態が続きました。結果,全国学力学習状況調査やその他の教育調査で,CST事業を実施した地域やCST教員が赴任した学校で,それまでと比べて理科の学力や学習状況に何らかの変化が見られたという研究成果はこれまで報告されていません。この原因は,校内でCST教員が核となって学校全体の理科教育を改善する取り組みができていなかったことと,そうした取り組みができるように教育委員会や大学等による支援ができていなかったためだと考えています。
地域理科教育のシステミックリフォームに向けて
そこで,上述の「中核的理科教員」がいかに校内の教員を巻き込んで全校的な理科教育推進に取り組むことを可能とするかの研究が重要となりました。一教諭の立場で他の教員や他校に影響を与えることは,通常の職務の範囲を超えることになります。中核的理科教員が学校内と地域で十分にその資質能力をはたらかせられることができるように支援体制を整える必要があります。
Clune(1998)によれば,システミックリフォームは「新たな学習スタンダードに対する教授指針が幅広く一致する政策を実施することによって,政策に影響を受ける地域のすべての生徒に対する教授学習の質を,広範囲に実質的に改善すること」を意味します。米国で実施されたシステミックリフォームによって,学習面で成果をもたらした取り組みは,授業段階での学習改善とそのための教員研修および教材の整備に重点を置いたという特徴が見られました。また,理科教育を改善する際の教員のリーダーシップも重要な要素だとされています。
そこで,中核的理科教員がリーダーシップを発揮して,授業段階の学習改善,教員研修,および教材整備の充実を推進できる体制を整えることで,学校と地域の生徒の学習面の向上により効果的な成果が得られるという仮説を立て,平成28年度から12の公立小中学校,5市1町の教育委員会と埼玉大学が連携して研究を進めた結果,別項で紹介するような成果が得られました。