科学的リテラシー向上への取り組み
ここでは,埼玉県内5市1町の12の公立小中学校の協力で,平成28年度秋から3年間実施した研究「中核的理科教員を活用した地域理科教育のシステミックリフォーム」(小倉,2020)から,児童生徒の科学的リテラシーの認識とその影響に関する研究成果の一部を紹介します。
科学的リテラシー指標値(SLI)とは?
児童生徒の科学的リテラシーの認識の実態を向上させるためには,まずその実態を把握する必要があります。小倉(2016)が提案する科学的リテラシー指標値(SLI)は,子どもの負担をできるだけ少なく1~数分で回答でき,教員による結果の解釈も直観的に短時間での読取りを可能とする手法です。それによって,学期ごとにSLIを測定し,PDCA的に成果の分析,課題の抽出,次期の改善策の検討を持続することができます。
科学的リテラシー指標値(SLI)の測定は,5つの質問項目に対してマークシートによる4肢選択 (1 当てはまる 2 どちらかといえば,当てはまる 3 どちらかといえば,当てはまらない 4 当てはまらない)での回答になります。
質問1は「理科の授業の内容はよく分かる」で,生徒の理科学習に対する自己効力感や有能感の程度
質問2は「理科の勉強は好きだ」で,生徒の理科学習への興味の程度
質問3は「理科の勉強は大切だ」で,生徒が理科学習に感じている重要性の程度
質問4は「理科の授業で学習したことは,私のふだんの生活や社会に出て役立つ」で,生徒が理科学習に感じている有用性の程度
質問5は「将来,理科や科学技術に関係する職業に就きたい」で,生徒が理科学習と自身の長期的な目標であるキャリア意識との関連を感じている程度
を測定します。質問1,2,3,5は,全国学力学習状況調査理科の質問紙調査項目と同じ表現を用い,質問4は,一部表現を変更しています。いずれの質問項目も,学習動機に関する「期待-価値理論(expectancy-value theory)」(Wigfield & Eccles,2000)において学習意欲に直接影響を与える要因と考えられます(小倉,2016)。全国学力学習状況調査では,対応する5項目すべてで,理科学力との間に正の相関関係が認められています(国立教育政策研究所,2015)。これら5つの項目で,生徒の科学的リテラシーの認識の状況を把握し,学校全体で5項目に対する意識が高い状態を維持することで,生徒に良好な科学的リテラシーを育成できると考えます。
指標値化は,全員が(1 当てはまる)を選択した場合に100,全員が(4 当てはまらない)を選択した場合に0となるように数値変換し,各学級,学年単位で指標値を算出することで,関係するすべての教員が5項目に関する意識の現状と変化の傾向を容易に把握し,各項目の指標値を100により近づけることを目標して取り組めるようにしています。
研究開始時の科学的リテラシーの認識
研究開始時における小学生の科学的リテラシー指標値(SLI)
研究開始時における中学生の科学的リテラシー指標値(SLI)
研究開始時のSLIは,現在の義務教育段階における理科教育が学年とともに生徒の理科学習への学習意欲を低下させている実態を示しており,全国の公立小中学校で行われている理科教育が生徒に良好な科学的リテラシーを育成するものとなっていないと言えます。中学校卒業段階で理科が「よくわからない」「好きでない」「勉強が大切でない」「ふだんの生活や社会に出て役立たない」「将来,就きたい職業と関係ない」と感じたならば,高等学校段階で,理科の科目を進んで選択しようとはしないでしょう。このことは,実社会で活躍していく上で有用な理科に関する資質能力を十分身につけることができないまま学校教育を修了することを意味します。現在の理科教育の深刻な課題としてこの現状を受け止め,学年とともにすべての生徒の理科への学習意欲が低下しない,あるいは高まるような理科教育の実現に向けてシステミックリフォームを推進する必要があります。
研究実施約2年後の科学的リテラシーの認識
研究実施約2年後における中学生の科学的リテラシー指標値(SLI)
研究実施約2年後における中学生の科学的リテラシー指標値(SLI)
研究実施約2年後,小学校でのSLIには大きな変化が見られていないか一部は低下しているのに対して,中学校でのSLIは,中学校1年生と3年生の値が同程度となり,学年とともに生徒の理科への学習意欲が低下する傾向を食い止めることができました。ただし,小学校でのSLIよりも,中学校でのSLIは依然として低い水準で,中学校でのSLIを全体的に向上させる取り組みが必要だと言えます。また,小学校で学年とともにSLIが低下しない取り組み,特に質問3や質問4で問うている理科を学習する重要性や有用性の認識が高まる指導の工夫が必要だと言えます。
公立小中学校12校で丸2年間取り組んだ結果が上記の状況となっています。この結果を見ると自分が教える学級や学年ならもっと良い成果が出るだろうと感じられた方もおられると思います。ぜひ取り組んでみていただきたいと思います。その際に,自分が教える児童生徒だけでなく,学校内の他の教員が教える児童生徒も含めて,学校全体の児童生徒のSLIを把握してください。学校全体でSLIをいかに改善向上させることができるかを追究したのが上記の結果です。
理科授業力が高い個々の教員が自分の教える児童生徒はもとより他の教員の教える児童生徒も含めて,学校全体でSLIを高められるようにすることが,学校全体での理科教育を推進することとなり,中核的理科教員はそのための資質・能力が高い教員である,あるいはそのための資質・能力を高めようと努めている教員であると言えます。SLIを測定すれば,学級単位の格差という形で現れる児童生徒の反応を通じて,その学級を担当している教員が得意としている側面とそうでない側面が明らかになります。また,年間を通じて,前回よりもSLIが向上する場合や低下する場合があります。それは,各教員が児童生徒のSLIを高める指導法や用いる教材について改善をする動機となります。そこで身近な存在である中核的理科教員が,より効果的な指導法や教材についてのアドバイスをしたり,授業研究を推進することで,校内理科教育の向上に継続的に取り組みます。現状把握(Check)→改善検討(Action)→指導計画づくり(Plan)→実行(Do)→現状把握へとつながるPDCAサイクルを繰り返していくことが基本的なアプローチとなります。
科学的リテラシー向上への取り組みによる理科学力の向上
全国学力学習状況調査理科問題の平均正答率を用いた本研究協力校の平成27年度と30年度の理科学力水準の変化については,本研究の複合的アプローチを実施した10校のうち6校が5ポイント以上の向上を示す結果となりました。またそれぞれ4校が研究に参加したA市とB市における平成30年度全国学力学習状況調査理科の結果は,小規模ながらも本研究での取り組みの有効性を支持するものとなりました。
両市とも教育委員会内に理科学力向上のための委員会を設置し,中核的理科教員がその委員を兼務し,市全体の理科教育推進の事業に関わりました。市教育委員会の事業と連携することで,研究協力校での公開授業研究会に市全域から参加が得られ,他校への成果の普及が促進されました。しかし,依然有効性の程度は小さく,効果をより明確なものとするには,①地域における研究実施校数を増やすこと,②より効果の高い取り組みを開発し実施すること,③長期的継続的に取り組むこと,などが必要と考えられました。推進役となる中核的理科教員が増えることと,さらに力量を向上するための研修機会を充実させる必要があるといえます。
科学的リテラシーの認識の変化の理科学力への影響
中学校において,科学的リテラシーの認識の変化が理科学力に及ぼす影響が統計的有意であることが確認されました。
科学的リテラシーの認識が学年途中で肯定的から否定的に変化した生徒は理科学力が低下し,逆に,否定的から肯定的に変化した生徒は理科学力が向上する傾向が明らかとなりました。中学校段階での理科教育の在り方として,理科教員は定期的に生徒の科学的リテラシーの認識状態を把握し,否定的な認識の生徒を肯定的な認識に変化させること,肯定的な認識の生徒を否定的な認識に変化させないことを重視すべきと言えます。SLI指標としている5項目が意味することは,「よくわかる理科」「興味を感じる理科」「人として学ぶことが大切な理科」「自分の生活や実社会で役に立つ理科」「将来の職業生活に理科が関係している」と生徒が認識できているかということであり,理科教員にそうなるための理科授業を実践することが求められていると言えます。それぞれの項目に対して肯定的に捉えさせるための指導や,否定的な認識を肯定的に変化させるための指導の工夫を各単元で計画的に採り入れていくことが期待されます。それによって生徒個人や学級全体での科学的リテラシーに関する肯定的な認識への変化を導き,定期的な科学的リテラシーの認識調査によって実態を把握し,さらなる改善を実現することができると考えられます。
中核的理科教員を活用したシステミックリフォームのアプローチ
小中学校12校のそれぞれにおける中核的理科教員を活用した理科教育推進の取り組み事例の分析から,効果的にシステミックリフォームを推進するアプローチとして以下が示唆されました。
[教育委員会] 教育委員会では,理科の指導主事が,地域全体の理科教育推進のため理科学力の向上と理科の授業改善,及び環境整備に努める。規模の大きな自治体では,理科学力向上推進委員会を設置し,必要数の教員を委員に任命する。特定の教育課題に関して必要な場合,学校に研究を委嘱する。
[学校-教育委員会委員型] 理科授業に高い資質・能力を有する教員が,教育委員会から理科学力向上推進委員会の委員に任命される。その教員を中核的理科教員として,学校全体の理科学力の向上と科学的リテラシーの認識の向上を目指し,校内で理科を教える他の教員に働きかけて,授業研究会などの校内研修を通じて理科授業の改善やその他の理科教育推進の取り組みを行う。理科教員間の連携が時間的に困難な中学校では,理科部会を時間割に設定するなどして,まず連携時間を確保する。地域における理科教育推進の拠点校として,定期的に地域公開の授業研究会等を行うことで,効果的な取り組みに関する情報を地域に発信する。
[学校-学校研究型] 理科教育推進につながる主題で研究委嘱を受けた学校では,全校児童生徒が,汎用的資質・能力としての学びに向かう力・人間性等や思考力・判断力・表現力等を伸長させ,同時に理科学力と科学的リテラシーの認識を向上させることができる教育プログラムの創出に全校体制で取り組む。中核的理科教員が研究主任を務め,すべての理科(・生活科)を教える教員が中核的理科教員のサポートを受けながら研究授業を実施することで,校内研修が活発となり,各教員の理科授業の資質・能力が向上する。委嘱研究の成果発表として,地域公開の授業研究会等を行い,効果的な取り組みに関する情報を地域に発信する。なお,中核的理科教員が異動しても校内の他の教員が中核的理科教員を担えるよう,普段から中核的理科教員一人に依存しない協働的な体制づくりを進める。
[学校-教員主体型] コア・サイエンス・ティーチャー(CST)などの理科授業に高い資質・能力を有する教員は,勤務校と地域の理科教育推進に寄与する活動を主体的に実施する。児童と教員の理科離れを防ぐため,小学校では理科主任として,日常的に理科授業に関する他の教員の相談に乗り,校内での理科授業観察や実験技能習得の研修機会を設けるなどにより,理科を教える教員全体の理科授業の資質・能力を改善する。近隣の学校の教員に呼びかけて有志で理科授業の改善につながる会合を設定することも可能である。特に,経験や研修機会の少ない若手教員にとって,中核的理科教員やベテラン教員から多くを学べるという意義がある。中学校でも理科の教員間で日常的に相談に応じたり,校内研修機会や理科部会を時間割に設定するなどしたりすることで,理科教育を推進する。地域公開で授業研究会を実施する場合は,大学から研究目的で学校宛てに開催依頼と,教育委員会宛てに他校教員の出席依頼を出すなどの工夫が可能である。
[大学] 大学では,中核的理科教員が効果的な指導法や教材について学習したり,先端科学技術の研究機関や野外学習サイトに訪問したり,中核的理科教員間で情報交換したりできる研修機会を設けることが,中核的理科教員のさらなる資質・能力の向上につながるとともに,若手の教員や教職大学院生などがそこに参加することで,次世代の中核的理科教員を養成することができる。
大学で行う理科教育推進のための調査研究を基に,学校で開催される理科公開授業研究会や観察実験実技研修会に情報や教材を提供したり,指導助言者を務めることができる。また,児童生徒の科学的リテラシーの認識の向上を目指した授業改善のPDCAの一環として,学校で意識調査を定期的に実施する際には,大学がそのデータの整理・分析を担うことができる。
大学は,教育委員会に協力・連携して,地域全体の理科教育の推進に継続的に関与する。
研究報告書