科学的リテラシーは,人が個人的,社会的,国際的な規模の様々な問題に遭遇した際に,問題に対して「科学的な態度」で臨み,適切な「科学的知識」を適用し,「科学的能力」を働かせて解決しようとすることに必要であり,すべての人が保持することを求めるものです。OECDのPISA(生徒の学習到達度調査)では,2006年と2015年に科学的リテラシーを主領域とする調査を実施するに当たり,科学的リテラシーの測定の枠組みを定めました。
2006年の調査では,科学的知識を「科学の知識 (knowledge of science)」と「科学についての知識 (knowledge about science)」の2側面で捉え,それらを適用して問題解決に取り組む能力が問われました。
2015年の調査においては,2006年調査の基本的な枠組みを踏襲しつつ,科学的知識を「内容に関する知識 (content knowledge)」「手続きに関する知識 (procedural knowledge)」「認識に関する知識 (epictemic knoledge)」の3側面で捉えるように変更されています。2006年の枠組みでの「科学についての知識」は,科学的探究に必要な知識と科学的説明に必要な知識のいずれも包括するものであったので,2015年の枠組みで新しい知識が導入されたというよりは,概念的に整理することで「手続きに関する知識」と「認識に関する知識」という分類に変更したという解釈できます。
いずれの枠組みでも共通することは,科学的知識として諸科学の領域固有の知識と,科学全般に関わる領域横断的な知識とを分けて捉えていることです。そして,調査で測定されるのは,科学的知識自体ではなく,それを適用して,問題解決に取り組む能力としての「科学的能力」への習熟度だということです。知識を知っているだけでは科学的リテラシーではなく,あくまで何らかの目的に適用できる状態であるかどうかという視点で科学的能力を捉えています。
「科学的能力」は,2015年の枠組みでは,「現象を科学的に説明する」「科学的探究を評価して計画する」「データと証拠を科学的に解釈する」の3側面から捉えられています。2006年の枠組みでは「現象を科学的に説明する」「科学的な疑問を認識する」「科学的証拠を用いる」の3側面で捉えられており,一部表現が変更されていますが,測定される「科学的能力」は2006年と2015年で比較できる範囲の内容変更となっています。
・現象を科学的に説明する:自然やテクノロジーの領域にわたり,現象についての説明を認識し,提案し,評価する。
・科学的探究を評価して計画する:科学的な調査を説明し,評価し,科学的に問いに取り組む方法を提案する。
・データと証拠を科学的に解釈する:様々な表現の中で,データ,主張,論(アーギュメント)を分析し,評価し,評価し,適切な科学的結論を導き出す。
(注:アーギュメントとは,事実と理由付けを提示しながら,自らの主張を相手に伝える過程を指す)
小倉(2010)は,理科授業を計画する際に,育成しようとする科学的リテラシーとそれを育成する状況をより明確にするためのチェックリストとして活用することを想定し,「科学的リテラシーを育成する授業構成観点」を示しています。PISA調査における科学的リテラシーを捉える構造を反映して,生徒が疑問や問題に「Ⅰ 取り組む状況」,取り組みを通じて「Ⅱ 身につける科学的知識」,「Ⅲ 身につける科学的思考力・表現力」,及び「向上させる関心・意欲・態度」で構成しています。
「Ⅰ 取り組む状況」は,児童生徒が疑問や問題への取り組みを通じて科学的リテラシーを身につける状況,あるいは科学的リテラシーの活用を通じて疑問や問題を解決しようと取り組む状況です。
「A 規模」は,取り組む疑問や問題の空間的拡がりであり,自分自身や身の回り,地域や社会的な拡がり,国家的な拡がり,地球規模での拡がり,及び,宇宙への拡がり,に区別されます。
「B 文脈」は,疑問や問題に取り組むことで解決したり実現されたりする内容の属性であり,学習者にとっては,取り組むことの意義や重要性を実感する大切な要素です。
資源・エネルギー問題に取り組むことは,持続可能な開発(発展)につながり,環境や生態系の諸問題に取り組むことは,美しい環境と多様な生命の保全や維持に,自然災害や人的災害,健康を脅かす問題に取り組むことは,安心で健康な生活を営むことに,テクノロジーを発展させる技術者を理解し支持することは,安全で住みやすい社会を構築することに,そして,新たな発見を導く科学者を理解し支持することは,人類の文化としての科学の発展につながります。このような取り組みの「文脈」が,Ⅳの「関心・意欲・態度」を向上させる前提として重要です。
「C アプローチ」は,カナダのフレームワークを取り入れ,科学的リテラシーを育成する取り組みに,「科学的探究」と「問題解決・ものづくり」,「意思決定」の3つの異なる学習プロセスを位置づけるとともに,これらのプロセスに,さらに「対話・説明・論述」による学習プロセスを加えて,より柔軟な学習スタイルを提示したものです。生徒にとって未知の真実を観察や実験などで追究させる学習は「科学的探究」に,生徒が既知の目標を実現させるために設計や製作を行う学習は「問題解決・ものづくり」に,そして,個々の生徒やグループが唯一の正解が存在しない問題への意思を決定するために利用可能な情報を分析したり討論したりする学習は「意思決定」に位置づけられます。これらの能動的な学習スタイル以外にも,「対話・説明・論述」は,授業において,教師や講師との対話や,専門家や教科書その他のメディアの説明や論述などから,科学的リテラシーを身につける受動的に学習スタイルが可能であることを意図しています。
「Ⅱ 身につける科学的知識」の「科学の各領域の知識・理解」は,わが国で作成された『科学技術の智プロジェクト』の成果を反映して,7分野のところ,物質科学を物理学と化学に分けて,8分野としている。これら諸科学の基礎的な知識を理解することが,科学的リテラシーの基盤として重要であることは言うまでもありません。
「領域横断的な科学に関する知識・理解」は,「科学とは何か」及び「科学にどのように取り組むか」に対する理解です。自然科学だけでなく社会科学の特徴と工学的な問題解決の特徴を反映しています。ここで留意すべき事は,例えば「条件制御」を科学的思考力と捉えて「Ⅲ 身につける科学的思考力・表現力」に移行すべきという考えに対しては,まず「条件制御とは何か」に対する理解が前提であり,その知識を科学的探究の状況に適用できて,初めて科学的思考力として機能できるという意味で,「知識・理解」として位置づけている事です。科学的思考力を発揮するためには,科学的思考に関する知識・理解が必要です。
「Ⅲ 身につける科学的思考力・表現力」は,OECDの科学的リテラシーの「科学的能力」の枠組みと同一です。上記のように,科学的思考力・表現力が発揮できるためには,それに関する知識が理解されていることが前提です。疑問や問題に対して,「科学的探究」のプロセスとして取り組むとすれば,通常,「科学的な疑問を認識することと調査を計画すること」が必要であり,その結果,「科学的な証拠を分析し批判的に解釈し結論することと伝達すること」が求められます。また,疑問や問題に対して,「対話・説明・論述」のプロセスとして取り組むとすれば,「現象を科学的に記述・説明・予測することと知識を適用すること」や,対話の中で「科学的な証拠を分析し批判的に解釈し結論することと伝達すること」が必要となります。こうした「科学的能力」の捉え方は,全国学力学習状況調査理科における「活用」の学力の4つの視点「適用」「構想」「分析・解釈」「検討・改善」に概ね符号するものです。
「Ⅳ 向上させる関心・意欲・態度」は,カナダのフレームワークを参考にし,また,わが国で,理科学習を役立てようという意識や将来の職業との関連の意識が低いという課題を反映したものです。科学的リテラシーを育成する授業を行った成果として,「知識」や「思考力・表現力」とともに,「関心・意欲・態度」の向上が図られるべきであることは,これまでも学習指導要領で強調されてきたことです。科学的リテラシーを重視するならば,「自然や科学への興味・関心」とともに,市民性にも関連する「科学的な追究や主張を支持する姿勢」,「他人と協調し協力する姿勢」,及び「主体的に判断し責任ある行動をする姿勢」を育成することが重要です。そして,学習で習得した知識を実生活に役立てたり社会の諸事象に関連づけたりしていつでも応用できるように「学びを実践し応用する姿勢」を向上し,さらに,自分の未来と学習した事柄との関連性を考えるなど「将来の職業生活・社会生活への活用の姿勢」を高めることが大切です。平成29年告示の現行学習指導要領で「関心・意欲・態度」が「学びに向かう力,人間性等」と改められたことは,科学的リテラシーを育成する授業で向上させる関心・意欲・態度により一致するものと言えます。
科学的リテラシーを育成する授業を設計する際,以上の観点のどこに関連づけるかによって,多様な授業展開を描くことが可能です。また,現在の授業を,これらの観点に沿って評価することで,いかなる科学的リテラシーを育成しようとしているかを点検することができます。
『科学的リテラシーを向上させる優れた理科授業に関する教師用ビデオ教材の開発』(平成21年度文部科学省科学研究費補助金基盤研究(B)(研究代表者:小倉康,課題番号19300267)研究成果報告書,国立教育政策研究所,2010)『カナダ教育大臣協議会 幼稚園から第12学年までの科学の学習成果に関する共通フレームワーク-学校カリキュラムに関する協力のための全カナダ協定-』(平成18年度文部科学省科学研究費補助金特定領域研究(研究代表者:小倉康,課題番号17011073)研究資料,国立教育政策研究所,2006)